Drupalでサイト構築
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
 そうすると自然と熱意が伝わるようになってきた。同じ話をしていても気迫が違うと相手の反応は変わるものだ。それまで、会社名で「〇〇さん」とか「〇〇のAra-kiさん」と呼ばれていたのが、「Ara-kiさん」と個人名で呼ばれるようになった。そう呼んでくれたお客さんは決して私を裏切ることはなかった。まさに「心」を掴んだ瞬間だった。
 二年目の夏ぐらいから私の営業成績は飛躍的に伸びていった。コツを掴むと面白いように契約がとれるのも営業の醍醐味の一つである。あれ程営業嫌いであった自分が嘘のようだった。この仕事こそ天職だと思った。それまでの私はお客さんから好かれよう好かれようとしていたが、そもそもそれが間違いで、要は自分がお客さんのことを好きになれば、おのずとどうすれば喜んでもらえるかが見えてくるものなのだ。悪かったのは商品でもなく、上司でもなく、お客さんでもなく、実は自分自身だったという事にようやく気付いた。一番大切なものを掴んだ私は、まさしく営業時代の全盛期を迎えようとしていた・・・
スポンサーサイト
2010.09.30 Thu l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 競馬の好きな方なら分かると思うが、逃げ馬が後続馬に追いつかれると後はズルズル後退していくことが多い。力で押しきる営業で、二ヶ月に一棟ぐらいは契約を取れるようになってきたが、やはり競合すると負けるというのは相変わらずだった。社会人二年目に突入した頃、一緒にスタートを切った同期15人の内一年間で一棟も受注できなかった2人がドロップアウトした。本当に厳しい世界である。
 負けず嫌いの私はとにかくトップを獲りたかった。だが今のままでは平均的な営業マンだ。もう一皮むける為に足りないものは・・・?
 思えば、私の人生自問自答ばかりだったような気がするが、追い込まれないと何も考えないし何もしない傾向がある。悪い意味で安定しつつあった今こそ、そこから脱却しなければならなかった。私に足りないもの・・・それはハングリー精神。何がなんでもトップを獲ってやるという強い信念。心技体とよくいうが、自分に足りないのはまさに「心」だ。去る者は追わずでやってきた自分を戒め、全身全霊、誠心誠意、粘り強くお客様にぶつかっていくよう心がけた。
2010.09.29 Wed l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 突然ですがここで少しだけ営業について私見を述べさせていただきます。意外に思われるかもしれませんが、全国でトップクラスの営業マンというのは「しゃべりタイプ」と「無口タイプ」の両極端に分かれるものだと私は思っています。だから話すのが苦手な方、決して悲観することはありません。ただ一つ絶対条件として言える事は、どちらのタイプであっても「聞き上手」でないといけないということ。お客様の話を親身になって聞いた上でないと的確なアドバイスはできないし、ピントを外すと決して信頼を得ることはできません。これさえ守っていれば誰にでも営業はできます。何も難しくありません。ただ自分の営業スタイルだけはできるだけ早く確立して下さい。大切なのは何より「自分らしく」です。偽った自分では本当の信頼を勝ち得ることは絶対にないと付け加えておきます。
2010.09.28 Tue l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 ある日、私は上司に呼ばれた。説教タイムだ。例のごとくコンコンと怒られ最後に上司がポツリと言った。「お前ええもの持ってるんやから頑張れよ!」その時私は、初めて大嫌いだった上司の内なる温かさにふれたような気がして無意識に微笑んでしまった。「でたな、Ara-kiスマイル!それやぞ!」目から鱗が落ちた感じだった。そう言えば何度かお客さんにも言われたことがある。「君笑顔がいいね」と。上司は何だかんだ言って私を見てくれていた。彼にとっては叱ることが期待しているという意味だったのかもしれない。その事を私が師匠と崇める営業マンの先輩に話すと彼も同じような事を言ってくれた。「お前には努力では身につけれない第一印象で人を引き付けるオーラがあるとみんな思ってるんやぞ!それは貴重な財産や!それをもっと生かせ!!」
 尊敬する先輩にそう言われて有頂天になるぐらい嬉しかった。でもどう生かせばいいのか私にはまだもう一つよくわからなかった。確かにお客さんはすぐ見つかる。が、土壇場で他メーカーにいつもひっくり返される。ならばどうすれば?「要するに競合させなければいい・・そうか!」私はとうとう見つけたのだ。自分だけの営業スタイル「先行逃げ切り!」。競合する前に自分のものにしてしまうスピードこそ最大のサービス。「今日できる事を明日に伸ばさない」それが営業の基本。いや、もっと言えば人生の基本なのだ。
2010.09.27 Mon l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
1000通貨トラリピがスタートして2ヶ月が経ちましたが豪ドルの運用実績は以下のとおり。

9zen60.jpg

2ヶ月で2000pips越えということは1万通貨単位なら20万円越えになりますよね(拍手)
私は1000通貨と1万通貨の併用ですが、それでも相当の利益が積み上がっています ^ ^ v
さらにスワップ(金利)も3万円ほどついているので言う事なしです(笑)

このトレード方法は早く始めれば始めるほど成果がでると思いますよ!

詳しくお知りになられたい方は、マネースクウェアジャパンのHPでご確認くださいね~ ^ ^

 ブログ為替レート
2010.09.26 Sun l スワップ派 l コメント (0) l top
現在長期保有中の外貨は、3万豪ドル & 1万NZドル & 3万ランド(南アフリカ)です。
この度の100年に1度とも言われている金融危機において大幅に政策金利を下げたとはいえ
昔から高金利通貨と呼ばれている代表格です。
スワップによって、どれくらいの不労所得を生み出すのか一緒に見てまいりましょう! ^ ^

マネーパートナーズ 
    元本 100,000円 → 263,433円(スワップ金利合計 62,523円)

サイバーエージェントFX
    元本 400,000円 → 764,410円(スワップ金利合計 87,510円)

合計、プラス527,843円・・・でした ^ ^ v

日銀砲(為替介入)のおかげで含み益50万円台を回復しました。。。
そろそろ上昇トレンドと判断して豪ドルを1ポジション増やしてみましたよ~
スワップ金利合計も晴れて15万円突破です!(笑)

さらに加えてトラリピくんが凄い事になってます・・・ 詳しくはコチラへどうぞ!

 ブログ為替レート
2010.09.25 Sat l 残高報告 l コメント (1) l top
 しかし、それから順風満帆とはいかなかった。世の中そうは甘くない。足だけでは必ず限界がくる。相方も同じ壁にぶつかっているようだった。不思議とお客さんはすぐ見つかるのだが、打合せを重ねるごとに私から遠ざかっていく。一度は「お願いします」と言っていた人がだ。私は幾度も人間不信になった。「人の言うことなど信じてはいけない。信じれるのは己のみ」と思い始めていた。
 気がつけば相方と二人して三ヶ月以上受注から見放されていた。同期の中には3棟目の者もいた。まさに「後から来たのに追い越され」である。
 一ヶ月受注が無いことを我々の業界ではボウズ又はタコと呼んでいた。それが三ヶ月も続くと当たり前のように人間のクズ扱いを受ける。それが営業世界の掟だ。でもいくら怒鳴られてもなぜ売れないのかは全然わからなかった。お客さんはすぐ見つかるのに、契約寸前で逃げられる。いつも同じパターンだった。売れない営業マンの常套文句「商品が悪い、上司が悪い、客が悪い」が同期の間で流行語と化し、私も真剣にそう思っていた。
2010.09.24 Fri l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 正直私は焦った。そして悩んだ。「俺にはできない!けど自分が選んだ道たった二ヶ月で逃げ出すんか?親父がいつも言うように俺はやっぱり甘ちゃんなんか?」自問自答を繰り返しながら、私は一つの答えを導き出した。「石の上にも三年というやないか!三年間死ぬ気でやってみよう!あかんかったらまたやり直せばいい!長い人生一度ぐらい本気でやってみたろうやないかい!」
 6月から私の行動は変わった。心が変われば行動が変わるものである。まず、なぜ人と話せないのか?を分析した。答えは簡単だ。聞かれた事に答えられないから。まずは住宅についての「知識」習得に全力を注いだ。しだいに接客で怒られることはなくなってきた。次に足りないものは?「営業力」こればっかりは一朝一夕で身につくものでもない。だったらどうする?「先輩が5回訪問で契約を取れるなら俺は15回訪問してやろう足で勝負だ!」
 6月末15回目の訪問で、私は初受注に成功した。同期3番目の速さだった・・・
2010.09.22 Wed l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 5月に入って近畿最大規模(約55戸出展)の千〇万博展示場に待機するようになったが、先輩達は震災で家を失った人々との打合せに毎日奔走していたので、新人二人で待機する日も少なくなかった。入社一ヶ月で展示場に入るのは異例のことだったらしいが、当時は事情が事情だけにやむをえなかったのだろう。しかし、住宅営業についての研修を受けていない新人二人が接客などできるはずもない。何度も何度も「わかってる営業マン呼べ!」とお客様にお叱りを受け、ますます私は営業が嫌になっていった。
 そもそも当時の私はどちらかと言えば九州男児の父に似て硬派であったと思う。人脈は多かったけど結局は仲間内。見ず知らずの人と話すのにはかなりの抵抗があった。ましてや飛び込み営業など、玄関ベルを押す指はいつも震えていた。一方条件は同じであったにもかかわらず、相方の方はいろいろ工夫しながら着実に成長していっているようだった。彼は先輩との同行を重ねながら5月の末に同期2番目の速さで初受注をものにしたのだ。
2010.09.21 Tue l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 第一の衝撃は上司の目だった。鷹のように鋭く、新入社員挨拶の時にこの人だけは直属の上司になって欲しくないと思った人が私の上司になった。本店住宅事業部営業第一課。それが最初の私の職場だ。同期の一人と共に構成された計7人の課で、先輩方4人はかつて出会ったことのない素晴らしい人間性を備えた方々だった。が、肝心の直属上司は鋭い目が示す通りの厳しい人だったのだ。同期の相方は私より年齢は一つ下にもかかわらず自分を持ったデキル男だったので、彼は相方の方を即戦力として期待していたようだ。少なくとも私の目にはそう映った。事あるごとに相方と比較され、こっぴどく怒鳴られた。これまでの人生においてチヤホヤされることはあっても父親以外に怒鳴られた経験がほとんど無かった私には痛烈にこたえた。上司に脅え目をそらす毎日。それがまた上司の逆鱗に触れまた怒鳴られるという悪循環。やっぱり自分には営業は向かないと本気でそう思った。
2010.09.17 Fri l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 平成7年4月1日、私は晴れて社会人になった。
 時間が無いと言っていたわりには、新入社員研修は想像をはるかに超えて充実したものだった。自社のもつ北九州のホテルで一週間の缶詰研修。さすが大企業と思った。そこで初めて社会人としての常識、マナーを叩き込まれ私は営業マンとしての第一歩を踏み出したのである。
 研修は人事部が行うのである種のんびりした感じだった。ところが研修を終えて同期約200人がそれぞれ配属される各支店に巣立った現場では、震災後のドタバタを象徴するかのような緊張感があった。私の配属先は大阪本社で、同志は15人。我々のサバイバルマッチはもうすでに始まっていた。
2010.09.16 Thu l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
2010年9月15日、日本時間午前10時半過ぎ日本政府はドル買い為替介入を実施しました!!


 ブログ為替レート
2010.09.15 Wed l 速報 l コメント (0) l top
以上で「学生編」が終わり、いよいよ本題の「社会人編」に突入していきます。
実は、ここから先は一度も公開していない部分なので急遽削除するかもしれません。ご了承いただけますようお願いいたします・・・
2010.09.15 Wed l 自伝「四十不惑」 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 何とか卒業試験をパスした私だが、卒業式までの一ヶ月間はとにかく忙しかった。震災でボランティア活動に走り回っていた建設業界。ハウスメーカーも例外ではなかった。入社式すらすんでいないのに入社してから研修する時間がとれないとの理由で、住宅展示場に3ヶ所以上回ってレポートを提出しろだの、オリジナル名刺を作れだの、さまざまな課題を与えられた。おまけに大学側からは、後輩達のためにどうやって内定を勝ち取ったか講演して欲しいと頼まれ、その原稿も作らねばならなかった。私が後輩たちにしたアドバイスははっきりとは覚えていないが、要約するとこんな感じだったと記憶している。良かったら参考にしていただきたい。
「面接は第一印象でほぼ決まります。その為にはまず身だしなみ。特に人間の心理上最初に目がいくのは足元なので、ハンカチを常に持ち歩き面接前に靴をさっと拭くのがポイント。後は落ち着いて自信をもって自分をアピールする事。とにかく他の人と同じ事を言っていては印象に残らない。普段からいろんな角度で物事を捉える訓練をしておくといいでしょう。」
2010.09.14 Tue l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 余震が落ち着いた後、テレビをつけてみていかに大惨事であったかを知った。地震の余波で隣町にまで火災が広がってきていて、家族中恐怖に打ちひしがれていた。何とか火災の被害には遭わずにすんだが、私は今後の現実を思うと憂鬱になっていた。就職は決まったものの卒業できなければ何の意味も無い。交通機関がすべてストップしているので神戸から大阪の大学に通えないのだ。高速道路の橋桁が倒壊し、メイン道路も地割れ続きのため車通学も難しい状況。しかし、卒業するにはそれ以外方法はなかった。結局大学の友人に嘆願して一週間泊めてもらうことにし、山越えルートで大渋滞の中約6時間かけて大阪まで辿り着いたのだった。(ちなみに神戸から広島まで行ける時間だ!)
 しかし、我が家にとって地震がもたらした最大の被害は父の大怪我だった。大手ゼネコンに勤める彼は、震災後の復旧活動の為に毎日毎日夜遅くまで自転車で駆けずり回っていたのだが、地盤の悪い道につまずき転倒し、肩を砕かれてしまい長期入院を余儀なくされたのである。(後述するが天は彼に余生をわずか4年しか与えなかった・・・)
2010.09.13 Mon l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
現在長期保有中の外貨は、2万豪ドル & 1万NZドル & 3万ランド(南アフリカ)です。
この度の100年に1度とも言われている金融危機において大幅に政策金利を下げたとはいえ
昔から高金利通貨と呼ばれている代表格です。
スワップによって、どれくらいの不労所得を生み出すのか一緒に見てまいりましょう! ^ ^

マネーパートナーズ 
    元本 100,000円 → 251,603円(スワップ金利合計 61,403円)

サイバーエージェントFX
    元本 300,000円 → 605,435円(スワップ金利合計 84,365円)

合計、プラス457,038円・・・でした ^ ^ ;

ほぼ一ヶ月ぶりの集計になりますが、8月に恐ろしいほどの円高がすすんだ割には
一月前と同水準まで回復してますね。。。

スワップが着実に増えているのが分かると思います。 やっぱり減らないのがいいですね(笑)

 ブログ為替レート
2010.09.11 Sat l 残高報告 l コメント (1) l top
 ともあれ、9月に就職先を決めた私の残りの学生生活はまさに薔薇色だった。単位もほとんど残ってなかったので文字どおり遊び呆けていた。
 ところが、卒業試験が間近に迫った平成7年1月17日未明、関西地区を未曾有の恐怖が襲った。阪神淡路大震災である。
 この時はさすがの私も死を覚悟した。ドーンという音がしたとたんに激しい縦揺れと横揺れが数分間続き、家の中のものが雨のように降ってきた。私はベッドで寝ていたが、反射的に布団をかぶったのが幸いして怪我にはいたらずにすんだ。しかし、精神的な恐怖はしばらくぬけることはなかった。それぐらい凄まじい地震だったのだ。
2010.09.10 Fri l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 振り返ってみると、学生の大多数がそうであったように私は将来について真剣に考えてなかった。考えることができなかったというのが本音のところだろう。自分に何が向いているか、何がしたいのかを探す為に人は社会にでるのだと私は思う。学生時代にそれが定まる人はある意味幸せだろう。無駄な時間を過ごさずにすむかもしれない。しかし、一見無駄に見えることこそ実はもっとも大切な事だとだいぶ後になって私は感じるようになった。20代というのはそれはそれでいいのではないだろうか?若さ故にできるということはいくらでもあるはずだ。その件については追々ふれていくことにさせていただこう。
2010.09.09 Thu l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 さて、私の内定した企業だが、大手ハウスメーカーの営業と大手塾の講師。どちらも一度やってみたい職種であったのでどちらに就職するかは非常に悩んだ。両親は当然のごとく大企業を薦めた。バブルがはじけたとはいえ、「寄らば大樹」の風習は日本社会に根強く残っていて、終身雇用と年功序列という日本特有の美徳があったからだ。
 母親いわく、「大手企業に入れば補償も充実しているし、万が一の時にも転職しやすい。少子化が進んでいる今日、塾業界は衰退していく。」と言うのだ。私自身としては教壇に立つ自分の姿にあこがれてはいたが、結局両親の反対に負け営業という過酷な世界に挑戦することを決めた。
2010.09.08 Wed l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 元来短気な私は、この憤りを独自の方法で対抗することにした。それは、「そっちがその気ならこっちもそうしたろうやないかい」という目には目を大作戦。つまり、逆転の発想で「私を採用しないと絶対後悔しますよ」という強気の姿勢で面接に望むことにしたのだ。これは意外に功を奏した。企業の面接官(人事部)にももの珍しく映ったのだろう。立て続けに二社から内定をもらい、あっけなく私の就職活動は幕を閉じたのだった。
 不公平な世の中というのは真の実力を求められる世の中でもある。実力のない者は淘汰されていくので、ある意味チャンスなのだ。
2010.09.07 Tue l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 就職協定により、我々の就職活動は四回生になってから始まった。予想違わず周りの学生は行くとこ行くとこ軒並み不採用で、皆この世の終わりのような顔をして帰ってきた。就職を諦め、公務員や士業を目指す者も少なくなかった。幸か不幸か私の場合、一次試験で落とされた企業は一社も無かったが、反って二次面接、三次面接及び最終面接で日程のバッティングがおこり、二者択一をせまられることになった。企業側も理不尽なもので、「指定した日の変更は受け付けません。来なかった場合辞退したものとみなします。」と、まさに取り付く島も無い買い手市場の現状を目の当たりにすることになった。景気が悪くなったとたんに手のひらを返したようなこの態度。これは銀行の貸し渋りに通ずるところがある。
2010.09.06 Mon l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 ところが一回生の終わり頃、日本経済に大きな変革期が訪れた。バブル崩壊である。それまで日本の就職活動は売り手市場で、先輩達の噂によると内定した企業に海外旅行に連れていってもらったとか、頻繁にホテルで内定者の集いよろしく豪華食事をご馳走してもらったとか、信じられない話を聞いていた。そんなうまい話があるものかと疑いつつも密かに期待していた私だったが、突如状況は一変してしまったのだ。一気に買い手市場は進み、就職浪人者が続出した。それは年を追うごとに顕著に表れていった。さすがに私自身我ら世代の不運を怨まずにはいられなかった。受験戦争のピークを経験しながら就職でまたしても氷河期かと、私だけではなく同期生の間での不満は日に日に募っていった・・・
2010.09.03 Fri l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 入学後も建設のバイトを週二回ぐらい続けながら、合わせて家庭教師もするようになっていた。人に教える事の喜びを知ったのもこの頃だったような気がする。私は昔から国語(特に古典)が好きで、歴史文学を中心によく読んでいたのだが、自分の雑学的な知識を話すのは結構楽しいものだ。案外教師に向いているかもしれないと思い、大学ではとりあえず教員免許の必須科目も履修していた。自宅から通学に二時間程度かかる大学だったのでサークルには所属せず、思えば寂しい青春時代であったような気もしないでもないが、合コン等には積極的に参加してそれなりには有意義な学生生活を過ごしていた。
2010.09.02 Thu l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 二十歳の春、私は〇〇大学法学部法律学科に入学した。
 もう私の中からは根拠の無い夢物語は消え去っていた。大学も名前で選ぶのではなく学部で判断した。とにかく法治国家である日本に住む以上最低限の法律を知っておくべきだという考えからだ。
 一般に法学部が「つぶしがきく」と言われるのは、実社会において気付くかどうかは別として、何らかの形で法律が関与しているからだろう。しかし一番の理由は、論理的思考能力を身につけることが人を納得させる上で必要不可欠なものだからだと私は思う。
2010.09.01 Wed l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。