Drupalでサイト構築
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
「いったいお前は何がしたいのや?」
(分からない・・けど自分で何かをしてみたい・・・)
「独立?」
(かもしれない・・組織に属して企業の駒になるのはもう嫌や!)
「でもお前に何ができる?」
(う~ん・・・)
「お前法学部やったんちゃうの?」
(そう言えば入学当時は弁護士になる言うてたな~)
「何かの士業目指せや!」
(でもノウハウがないぞ・・・)
「なら簡単や!どこかの事務所に勤めてノウハウ盗んで独立や!!」

おぼろげながら未来への方向性が見えてきた。
もうそれしか自分の夢を叶える手段がないような気がしてきた。
でも無資格者で雇ってくれる事務所があるかどうかが問題だろう。
そう、私の30代の旅はまだまだ始まったばかりだった・・・・・
スポンサーサイト
2010.10.28 Thu l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 出来れば今度は次の職場を見つけてから退職したかったので、私は先ずインターネットのリクルートナビキャリアNEXTに登録した。登録するやいなや続々とスカウトメールが届くようになったが、やはり過去の職歴をうたっているのでほとんどが住宅業界だった。ごく稀にこんな大手が?というところもあったが、自分の意見の通らない大企業はもうこりごりだ。私は日々の業務の合間をぬって就職相談会や企業説明会を聞きに行ったりした(ごめんなさい)。でも自分の希望にあった職場はなかなかないものだ。もう失敗は許されない。いっそのこと公務員でも目指そうかとも思ったが、今よりもっと安定して面白くなくなりそうだ。
2010.10.27 Wed l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 そうこうしているうちに私はとうとう大台の三十歳の誕生日を迎えた。面白くない人生だった。ふと、「これでいいのか?」と疑問を感じる日が多くなってきた。「このまま定年を迎えて細々と老後を過ごすことになるのか?こんな形で三十歳になるとはやっぱり俺は平凡人間なんやなぁ~」そう考えると住宅営業として走り回っていた時代が懐かしく思えてきた。「あの頃は走ってたよなぁ~結局俺は安定をとってしまったのか。男としてこの世に生まれたのに何の生きがいもない。何の為に俺は生まれてきたんやろ?」悩み続けた上での結論。それが、再転職だった・・・
 不満がないのに転職するほど勇気がいることはない。不満がないのが不満とはなんとも贅沢な悩みだろう。でも他人がどう思おうと、安定よりお金より「生きている証」を私は手に入れたかった。がむしゃらに走り続ける男で在りたかった。
2010.10.26 Tue l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 一から十まで営業マンがしなければならない住宅営業と比較すると何と楽なことか。言葉は悪いかもしれないが、営業の役割は新規開拓を求められるわけでもなく、来る日も来る日も決まったところに行って仕事をもらってきては派遣の子にやらせるだけ。修羅場をくぐってきた私にとってはかなり拍子抜けだった。こんな営業あり?と思った。実際この職場での経験で特筆すべきことはほとんどない。特に数字に追われることもなく普通にやっていれば評価された。逆に新しい事にチャレンジしようとするとストップをかけられてしまう。保守的な会社だった。ただし従業員80名ほどの会社だったにもかかわらず、システムは最新設備を完備していた。最新型のパソコンを導入したり、毎月一回CS(顧客満足)会議をしたり、人事考課についても講師を招いて研修したりと、かなり画期的で進んだ会社だった。会社全体の売上も利益も安定していて、給与面(賞与含む)も前職よりは下がったものの業務量からいって妥当な線だと思っていたし、とりたてて不満はなかった。努力しなくてもそこそこの暮らしができるのであればそれでいいかと考えるようになっていた。本当に人間というものはどうしてこうも楽な方に流されてしまうのだろうか?
2010.10.25 Mon l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 第二の会社ではルート営業が中心だった。得意先であるハウスメーカーに毎日顔をだしては主力商品であるヌック(床暖房)、カワック(浴室暖房換気乾燥機)、ガスヒーポン(マルチガスエアコン)を売り込んでくるというわけだ。とは言ってもハウスメーカーはあくまでサブユーザー。エンドユーザーはハウスメーカーのお客さんということになるので、エンドユーザーと直接打合せが難しい分とにかく設計変更が多かった。そのたびごとに図面を書き換え見積もりの出し直し。多い日には5件ほど見積もりを依頼されるケースもあり、またそれがすべて翌日までということにでもなれば徹夜になってしまう。というわけで、営業マンには派遣の女性スタッフがつくというシステムになっていた。私は即戦力として採用されたので、すぐにアシスタントの女性をつけてもらった(別に私専属ではないのだが事実上見積もり件数が一番多い私の専属みたいなものだった)。丁度、派遣の子も私の入社後すぐに入れ替わったので、いきなり私は中間管理職のような立場になった。
2010.10.22 Fri l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 中途採用試験とは新卒採用試験と全く別物と考えてください。ポイントは大きく分けて二点に絞られます。一つはこれまでの職歴において自分が何をしてきたかと退職理由。もう一つは志望動機で過去の職場経験をどう生かそうと思うのかをアピールできれば良いのです。まさに一発勝負です。いかに短時間で自分を売り込めるかにかかっています。覚えておいてください。
2010.10.21 Thu l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 受講終了の平成12年3月すでに私は二十九歳になっていた。20代最後の年だ。失業給付もこの月で終わってしまうので早急に仕事を探さねばならない。ようやく私は重い腰を上げ、就職情報誌を買って自宅から30分以内の会社に二社ほど履歴書を送ってみた。反応は思いのほか早かった。一社は即採用したいので面接に来てくださいとの事。もう一社も筆記試験の後最終面接をしますというのだ。私はキツネにつままれたみたいな感じだった。中途採用というのはこんなにも簡単なのか!?まだ会ってもいない人間をなぜ採用したいと言えるのか?そんなに大手企業の看板は偉大なのか?何かやりきれない気がした。けど、なんにしても有り難い話だ。前者の会社の面接で即内定となり、4月17日付けで私は〇〇ガス特約店に入社したのだった。
2010.10.20 Wed l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 学校に行き始めてみると大半が中高年齢の方々ばかりで20代は私を含めて二人しかいなかったのだが、反ってパソコンを初めてさわる人達にいろいろ教えることができ自分自身も大変勉強になった。彼等は特に資格をとろうとかいう考えはなかったようだが、私はあわよくばインストラクターの資格をとりたかったので積極的に彼等とコミュニケーションをとっていた。実際インストラクターの先生に聞いてみるとビジネスコンピューティング検定三級程度しかもってなかったので、最低それだけはとって卒業することを目標に頑張っていた。その検定試験の概要は、英文タイプ打ち10分間に700字以上、エクセル表計算とグラフ作成80点以上、一般常識80点以上という三項目すべての合格基準をみたすこと。真面目に学校に行っていればさしたる難しい試験ではない。結果、私はビジネスコンピューティング検定三級、ワープロ検定三級、一太郎検定二級を取得して卒業した。
2010.10.19 Tue l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 ちなみにこの時調べたことは将来において重要な意味をもってくるのだが、当時の私はまさかこの仕事に自分が携わることになろうとは夢にも思わなかった。
 我が国の法律は知らないと損なことが多く、雇用保険法も調べてみると意外と面白い。雇用対策臨時特例法第二条に訓練延長給付(45歳以上60歳未満の者の申し出に基づきハローワークの指定する公共職業訓練を受講する場合、当該受ける期間内所定給付日数を超えて基本手当を支給)なるものがあって、二十八歳の私でも枠が残っていれば受講できるというのだ。これは渡りに船だった。三宮校は一杯だったが姫路校に枠があった為、私は12月から三ヶ月間パソコンの講習を受講することになった。これで計六ヶ月間失業給付を受給しながら自己啓発できる。なんとも有り難い話だと思った。今でこそパソコンを使えるのは当たり前になっているかもしれないが、当時はブラインドタッチができて、エクセルを使いこなせる人は会社で事務職をしていない限りまだまだ少なかった。
2010.10.18 Mon l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 さて、これからどうすればいいのか?私は全てを失ってしまった。とりあえず収入源を確保しなければならない。幸い我が国には失業保険という有り難い制度があるので、少なくとも三ヶ月間は安泰だと思っていた。しかし、色々調べてみると自己都合退職の場合待期期間(給付制限)というのがあって、三ヶ月間は失業保険をもらえないということらしい。ここで普通の人なら諦めて一刻も早く次の職場を探すだろうが私は違う。即もらえる方法を調べた。四年半過酷な労働をしいられたのだ。雇用保険まで掛捨てでは納得がいかない。私は企業ブランドではなく「自分」という一人の人間としてのブランドをあげる時間を持ちたかった。つまり何か専門の学校に行って自分を磨こうと考えていたのである。その為の軍資金。この方法は現在つかえるかどうかは大いに疑問なので参考にされたい方はよく調べてからにして欲しいのだが、当時はいけた。あまり大きな声では言えないのだけど、労働基準法にのっとっていかに過酷な労働が違法性を帯びているかを職安(ハローワーク)に認めさせることができれば待期期間を待たずに失業保険を受給できるシステムになっていた。営業経験で培った持ち前のトークで私は即失業保険をもらえることになり、ゆっくりと第二の人生を考え直すことができたのである。
2010.10.15 Fri l さ迷える20代 l コメント (0) トラックバック (0) l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。